営業部スタッフ

くろよん

 

お盆休みに富山県建築の歴史を調べていたところ日本を代表するダムである「くろよん」こと、

黒部ダムが有る事を知りました。

現在は観光スポットとしても人気ですがその工事は困難を極めており戦後の関西地域一帯の命運をかけた

一世一代の大プロジェクトだったそうです。

興味がわいたので公開資料を含め色々と深堀してみました。

『黒部川水力電源開発』黒部川の水力電源開発は大正時代から始まりました。

「日本の屋根」といわれる北アルプスの3千メートル級の高い山々に挟まれた黒部峡谷は人々をよせつけない

地形でしたが、降雨量が多く急峻な河川であることから水力発電に極めて適した条件を備えていたとのことで

大正7年黒部における、水力発電の可能性調査を開始し、大正12年には宇奈月~猫又間の軌道の開削に

着手開始、昭和2年柳河原発電所運転開始に始まり黒部川第二(昭和10年)黒部川第三発電所(昭和15年)

など、次々と発電所が建設されて行くなかで豊富な水量と大きな落差から水力発電の適地とされながら厳しい

自然条件により、ダム建設を阻んできた(黒部ダム・黒部川第四発電所)の建設が

昭和31(1956)年「くろよん」建設での最大の難工事と言われる大町トンネルの掘削工事が開始され、

不安視されていた破砕帯と遭遇は毎秒660リットル(水深40メートルの水圧相当)もの地下水と

大量の土砂が噴き出し距離わずか80メートルの破砕帯に対し7ヶ月の苦闘の末に突破したそうです。

昭和38(1963)年6月5日、「くろよん」は竣工の日を迎え7年の歳月と513億円の工費、

延べ1千万人の人手、171名の尊い犠牲により完成したのだそうです。

公開されている資料を見るだけでも本当に大変な工事だったのだとわかりますので

興味のある方は一度資料を見てみる価値がある建設工事だと思います。

 

 

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